【私的音楽評】NO.234 福島セレクト3 担当:福島さん

私的音楽評 福島セレクト3(1989年)

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創世記はすべてのもののなりたちが記され、そこにはエデンの園の追放も書かれている…
現役時代、初めてのことに取り組んだ無手勝流は失敗をもなつかしく思い出させるが、
功績も罪過もあって、功罪相償っているもの事実。
ということで、前回「ライブ番組創世記」の続きは「地球学園祭創世記」(1989年)。

 

6/17から23年ぶりに半月ほどハワイを訪れた。
以前と同じようにホノルル空港に着く直前には真珠湾が見える。
そのとき、1989年のあることを思いだした。
ダイアリーを見ても1月24日か26日だったか定かでないが、
真珠湾の北側にあるミリラニ・ゴルフクラブのキャディマスターに
「天皇が亡くなったというのにいいのか?」と言われたのだ。
無宗教で右翼でも左翼でもない双子座・AB型の私としては全く虚を突かれた瞬間だった。
もちろんそれで意地悪されたわけでもなく、ひょっとして軽口だったのかも知れないが、
私にとってはその直前にホノルルのNBCアリーナで大沢誉志幸のコンサートを収録し、
すっかりロコ気取りでいい気になってオフを楽しもうとしたとき、
ナショナリティを考えさられた小さな事件だった。

 

真珠湾

 

昭和64年が7日間になってしまった平成元年のこの年は、
いま思い返すと個人的にずいぶんと国際的な年だったと思う。
1月の仕事とオフのハワイに続き6月にはサンフランシスコでウインドサーフィンの取材、
9月と12月にはまたハワイでサーフィンの取材に行っている。
丸井提供のベルト番組「SPOPS」の担当プロデューサーだった役得とも言えるが、
世の中バブルの真っ只中、テレビも音楽業界もイケイケで企画がどんどん通った時代だ。
ソニーがコロンビア映画を、三菱地所がロックフェラー・センターを買収していた。
折しも横浜は市制100周年の「YES’89」(これはあまり国際的とは言えないけど)、
市民オペラ「海光」の収録まで任されてしまうというオマケつきだった。

 

そんな中、老舗のラジオ局とコンペで競り合って通った企画があった。
世界の大学生バンドを日本に呼んで地球学園祭「ONE’89」
(ワールド・カレッジ・ポップ・フェスティバル)を開催しようというもので、
住友グループ48社(当時)の広報委員会にスポンサードしてもらった。
放送作家の関秀章氏の発案で、総合プロデューサーを宇崎竜童氏にお願いし、
第1回のスペシャルゲストは佐野元春氏という布陣。
佐野元春氏は80年にスタートした宇崎さんの「ファイティング80’s」で、
デビューしたてのど新人ながら初代レギュラーバンドをやってもらっていた。
サックスをフィーチャーした都会的なロックに度肝を抜かれて9年が経っていた。

 

<アンジェリーナ>http://www.youtube.com/watch?v=QzwK3_oXWRk

 

 

ONE89広告朝日全10段

 

それにしても、横浜のローカルテレビ局が、老舗ラジオ局をコンペで破って、
全国展開の住友グループをスポンサーにし、
横浜アリーナに外国から4カ国の大学生バンドを呼んでイベントをやるというのは、
ちょっとした事件だったようだ。手もとに日経エンタテインメント9/20号が残っていて、
「しかし、なぜまた住友グループがアマチュアバンドのイベントを主催するのか」と
疑問を投げかけていた。私が自信たっぷりに「定員の12,000は確実にいっぱいになる」と
語ったコメントを引用しているものの、「ほぼ順調に進んでいると見ていいだろう」と、
やや「お手並み拝見」的で冷静な書きっぷりだ。
「3年ぐらいは続けたい」とスポンサーの広報委員会もコメントしているが、
翌年からは国立代々木競技場に会場を移し、
「ONE’93」まで5年間がんばることができ、結果として一矢を報えた。
当時、バブルで少し調子にのっていたとは言え、
「今までの君はまちがいじゃない」「これからの君はまちがいじゃない」と
「約束の橋」に励まされながら、地道に、まじめに世界の大学生バンドと向き合い、
各国の土着性も共通性もナマで直に聴けたというのはとても貴重な体験だった。
1月にナショナリティを自覚させられ、
11月に共通言語の音楽を再認識した年だったと言える。

 

<約束の橋>http://www.youtube.com/watch?v=W1T1iq3YtA0&hd=1

 

 

綴じ込み付録:
バンドブーム初年度の第1回「ONE’89」には日本の学生バンドが3組出演している。
真心ブラザーズ・桜井秀俊氏の「びっくりしたな、もう」と、
カブキロックス・氏神一番氏の「一番屋」だ。
ググっても「ONE’89」に出場していたことがどこにも書いてないのが残念。

 

バブル崩壊でエデンの園を追放されたような日本だったが、
私個人も情報センター準備室〜編成と、現場の制作からは離れてロスト10年を過ごす。
次回はその95〜02年あたりか、または「70’s Vibration」も見えてきたところで、
77〜83年あたりの入社間もない頃の話に戻すか、
次回はずいぶん先になりそうなのじっくり考えることに。ではまた。

 

 


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