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私的音楽評 No.221 福島セレクト1
自己紹介を兼ねて少し長いけど「ヘビーローテーション創世記」
「創世記」、七日目に休日をつくったということしか覚えていない。
ん? なにか違うな…、安息日だ、安息日。昼と夜を区別したのが第一日。
大空を天と名づけたのが第二日…(紙幅がないので中略)、
全ての創造を休んだ第七日。それが週末の安息日だ。
思えば現役時代にはさまざまなスタート・アップに立ち会えた。
第一期の79年に江の島で大型野外イベントJapanJamをやらせてもらい、
第二期の84年に自分の番組でビデオクリップという言葉を日本で最初に使い、
第三期の89年には音楽制作の子会社ミューコムを立ち上げ、
第四期の95年にビデオジャーナリスト職をつくり、
第五期の04年は地上デジタル化と社屋移転でてんてこ舞いし、
第六期の09年イマジン・ヨコハマを契機に苦手だった市民活動に首を突っ込むようになった。
そして、神が言ってくれたわけではなく、そろそろ休んでいいかなと思って12年に自ら退任を決意し、
第七期の安息日の現在という次第。
さて、編集長からは87年の12HOURS ALL-NIGHT OUTDOOR LIVE「BEATCHILD」について書けと言われたのだが、第三期の音楽制作のミューコム立ち上げ前に、評論家や音楽関係者に誘われて確かに阿蘇まで行っている。
しかし、やたらと寒く、びしょ濡れになったことだけしか記憶になく、
昨年の映画公開で「ステージはそうだったんだ」というのが正直なところ。
豪雨でギターアンプが壊れ、モニターの音を失っても歌いきった白井貴子の「CHANCE!」、
スライダーズのハリーの飄々とした「あのコはとくべつさぁ」が耳に残る「Special Woman」、
ピンスポの逆光でCGのように見える雨脚の中、舞台にキスをする尾崎豊がもの悲しい「Driving All Night」、
中でもヘビーローテーションを思い出させてくれた、新人THE BLUE HEARTSの「リンダリンダ」が印象的だ。
https://www.youtube.com/watch?v=PoMd3vrAOgc
ここの事務所の社長からの提案でtvkは日本で最初にヘビーローテーションを実践した局になった。
アメリカのラジオ局で生まれたこの集中豪雨的にレコードをかけるという手法、
日本でもそれまではAMやFM局でしか宣伝ツールになっていなかったのが、テレビでもできるという認識に変わった瞬間だ。
このあとヘビーローテーションはレコードメーカーやアーティストの事務所にとってプロモーションの必須ツールとなり、
CD発売のCM出稿をともなってずいぶん使われ、tvkの音楽番組の貴重な収入源になっていく。
今後も折に触れて、私のそれぞれの期に関連した創世記を紹介していくのでよろしゅう。
余談:吉本ばななの「パイナツプリン」に
「私が素人衆だった最後の数か月を最高にしてくれたのはブルーハーツだった。
新宿のテイトムセンにはり出してあった歌詞を見たのが最初だったろうか。
ミュートマJAPANだったろうか」
と書いてくれてうれしかったのを思い出した。