人を、街を、音楽でつなぐ市民団体 NPO法人ARCSHIP 私的音楽評No.203 ニシセレクト54

私的音楽評No.203 ニシセレクト54

9月16日の未明0時5分、入院中の父が息を引き取った。

 

大正生まれの父は、晩年しばしば戦争の話しを口にした。
小中学校の同窓生の2割が戦死し、
属していた郡山(朝鮮半島)陸軍兵学校生の半数が戦場で散っている。
「国を守るために兵隊になったの?」
「国じゃないよ、家族を守るためだ」
そして父のこう続けた、
「でもな、戦争は若者の未来を奪う。命も夢も」

 

実家付近は旧陸軍飛行場跡地なので、
その歴史を伝えるために記念館がある。その名は大刀洗平和記念館。
そこには旧日本軍の戦闘機の実物大レプリカがあって、
父はそれが大嫌いだった。クルマで博物館の横を通ると
「平和記念館なのに、戦闘機が置いてある…..」
助手席でそうつぶやく父は、両こぶしを堅く握っていた。
父は戦争について語るとき、
眉間にシワを寄せて、何かに抗うような表情を見せた。
だから僕からその話題を持ち出すことは無かったが、
身体が弱ってきた後ろ姿を見るに、聞くべきことがあると感じた。

 

「玉音放送の後、戦闘装備を置いて帰宅するよう命令されてな。
放心状態で兵学校を出ようとすると
傷だらけの歴戦の大隊(兵士約500名)と出会ったんだ。
ソ連軍南下を阻むために国境に向かうと言う。
だから俺たちも同行を申し出たよ。
するとむこうの大隊長から“生きて日本に帰れ”と一喝された。
もし同行していたら、俺たちも戦死していたな」
「その大隊が壁となって半島の日本国民を守ったんだね」
「そうだな。ただなトオル、憶えておいてくれ、
死んだ兵士は英霊である前に、戦争の犠牲者なんだ。
仕方なく覚悟を決めて家族を守るために戦地に向かった。
でもだれも戦争をしたくなかった。みんな叶えたい夢があったんだ」

 

父は89年と10ヶ月で人生を終えた。
うち22年間、日本はどこかで戦争をしていた。
「なにがあっても、二度と戦争はしてはいけない」
険しい表情で語った父の言葉を、僕は遺言として受け取っている。

 

今回紹介する曲は“反戦歌”です。
戦争は外交手段。国の都合。騙されてはいけません。そんな歌です。

 

加川良

加川良/教訓1(1971年)

http://www.youtube.com/watch?v=RBFXtrkNDW4

 


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